【ネタバレ注意】映画『バケモノの子』を見て感じた疑問点や考察まとめ

こんにちは、竜也です。
様々な動画配信サービスを触っていると、見たいけど結局見ていない映画との出会いがちらほらあります。

 

本記事のタイトルにも入っている『バケモノの子』。

上映当時は気になっていた作品で今回初めて視聴してみましたが、複数の疑問が生まれました。今回は疑問点と、疑問に対する考察という形で記事を書きたいと思います。

 

バケモノの子』のネタバレ等も含まれる記事になるので、ネタバレを気にしない方や疑問と考察に興味を抱いた方のみお読みいただけますと幸いです。

作品情報

・タイトル:バケモノの子
・公開年:2015年
・制作国:日本
・上映時間:119分
・ジャンル:アニメ

監督と主演キャスト

監督は『時をかける少女』や『サマーウォーズ』などを手掛けた細田守監督、メインとなるキャラクター・蓮(れん)/九太(きゅうた)の声を宮崎あおいさん染谷将太さん、熊徹(くまてつ)を役所広司さんが担当されています。

劇場放映のオリジナルアニメーション映画は俳優や女優が声優として採用されることが多いですね。

 

あらすじ

物語は主人公・蓮の母が事故死し、一緒に生活する人が居なくなったことから始まります。
両親が居なくなった蓮は母方の親戚に育てられる方向に話が進み始めた矢先、親戚の言葉に苛立った彼は「1人で生きていく」と言い残して渋谷の街へと飛び出してしまいます。

 

全てが嫌になった蓮は偶然出会った謎の小動物・チコと一緒に渋谷の街でうずくまっているところ、渋天街からやってきたバケモノの熊徹と多々良と遭遇します。蓮は熊徹に「一緒に来るか」と誘われますが、熊徹の異様な姿に戸惑って動けませんでした。

 

夜の渋谷を歩く蓮は警察に連行されかけたところを逃走し、路地からバケモノたちが住む街・渋天街に辿り着く。蓮は渋天街の市場に迷い込み、危ないところを百秋坊に助けられて熊徹と再会します。

 

熊徹は行き場のない蓮を弟子の名目で住む場所を与えることにし、彼に名前を尋ねます。
ですが、蓮は自身の名前を言い渋り、当時の年齢が9歳であったことから九太と名付けられ、2人は共同生活を始めるようになります。

 

性格がまるで合わない2人でしたが、互いに足りない部分を学び合い、共に成長していくというのが話の流れになります。

 

疑問に感じたこと

映画の情報や話のあらすじについて書いたところで、一通り見て感じた疑問点と考察について挙げていきます。

 

1.熊徹は九太のどこを見て見どころがあると感じたのか

渋谷で出会った九太と渋天街で再会した熊徹は「見どころがある」と言って彼を弟子にしようと考えました。口では渋天街に来る気概がある旨を言っていましたが、実際はそうではないように感じます。

 

■考察

考えられるのは、熊徹が孤児だった過去があることに要因があるとみています。孤児だった彼は独学で武術を学び、1人で生きる術を得ていたのでしょう。1人で生きる苦労を思い出し、渋谷に1人で居た九太と昔の自分を照らし合わせたのではないでしょうか。

 

2.宗師はなぜ熊徹に甘いのか

この作品に登場する宗師は、渋天街に住む人からは尊い存在として崇められています。作中でも熊徹に甘い宗師の姿がちらほら移りますが、なぜなのでしょうか。

 

■考察

熊徹に寄り添った唯一の存在であり、彼を息子のように扱っているからだと考えます。
昔の熊徹は粗暴で周りの人から敬遠されていました。

 

天涯孤独な彼に目を向けたのは宗師のみで、宗師にとって熊徹は息子のような存在だったのかもしれません。力はあれど人望が薄かった彼に「弟子を取れ」と言ったり、九太が渋天街に住むことを承諾したのはちょっとした親心ではないでしょうか。

 

3.熊徹たちが旅で出会った宗師から通じるものは?

熊徹たちは渋天街宗師からの勧めで各地の宗師たちに会いに行く旅に出ることになります。

力は無くとも幻を作れる宗師、念動力に自信のある宗師、石のように一定位置から離れない宗師、誰よりも早く獲物を釣りあげて食べる宗師の4人と出会うことになりました。4人の宗師から学べる強さとは、どういうものなのでしょうか。

 

■考察

それぞれ下記のような強さや考えの大切さを表しているように感じました。


幻を作れる宗師

想像力では無いでしょうか。

想像力は自分だけに限らず、相手の行動を想像するとも考えられます。力は無くとも相手の行動を想像して対策を行っていけば強く立ち回れるのではないかと感じます。


念動力に自信のある宗師

この物語の念動力はバケモノの力に限らず、人間が抱く闇から生じるものとされているようです。宗師は自分の腰痛に効かないと訴えていましたが、力の加減が分からず腰に念動力をあてることに恐怖を抱いているとも捉えられます。

 

念動力に自信のある宗師からは、恐怖から限界を知ることの大切さを訴えているのではないかと考えました。


石のように一定位置から離れない宗師

何があっても動かない様子から察するに我慢強さでしょう。痛みを我慢してカウンターに繋げることもできますからね。


誰よりも早く獲物を釣りあげて食べる宗師

この宗師に関しては時代の先読みか、素早く動ける強さを印象付けているのではないかと感じました。

 

ビジネスでも流行を先読みして展開していれば勝つ場面もありますし、新しい物を取り入れ続けることは大事ではないでしょうか。また、早く獲物を釣りあげる点を見て、素早く動けるのは強さに繋がると画面が訴えているように感じます。

 

4.チコはどういう存在?

1人で生きようと決意した九太の前に現れた謎の小動物・チコ。見た目やなぜ九太にすんなり懐いているのか分からない小動物ですが、正体は明かされていません。
私はチコの存在をこう捉えております。

 

■考察

事故死した母の生まれ変わりだと考えられます。
九太は熊徹から教えた内容の意味は「自分で見つけろ」と言われた場面があります。熊徹の言葉に悩む九太にチコが近寄り、急に母の声が聞こえ始めます。

 

その際にチコの姿が写ったりしますし、彼が闇に飲まれかけたところを抑えようと動く場面もありました。これらの要素から、実は母の生まれ変わりなのではと感じます。

 

5.一郎彦が闇落ちしてしまった理由は?

宗師を懸けて熊徹と戦っている猪王山の息子・一郎彦は、九太が9歳の頃は彼に優しく振舞っていましたが、彼が17歳になってからは性格が一変しました。最終的には闇に飲まれて九太と対立してしまう彼は、なぜ闇落ちしてしまったのでしょうか。

 

作中では自分を信じ切れなかったとありましたが、もう1点あるように感じました。

 

■考察

ネタバレになりますが一郎彦は人間で、同じ人間である九太に対して劣等感を抱いていたのかもしれません。理由としては彼の態度の変化にあります。

 

最初は弱い九太だから一度守りはしたものの、彼が力を付けて周りに差をつけ始めてからは良い印象を抱いていないように見えました。

 

この考えを後押しする要因になったのが宗師後継者を懸けての闘技会で、父であり師でもある猪王山が熊徹に敗れ、心の闇に飲まれた影響で扱える念動力を利用して熊徹を刀で貫きます。

 

熊徹が刺される光景を目の当りにした九太も同様に心の闇を露わにしますが、一郎彦と違って人を傷付ける前に感情を抑えました。目の前にあった刃の先を見た一郎彦は、胸の周辺に広がっていた闇を全身に纏って渋天街から消失します。

 

自分と同じ状況になったと思えば、相手は誰かを傷付ける前に力の暴走を食い止めた。

そう考えれば、九太に対して抱いた劣等感が闇落ちを促進させるきっかけになったのかもしれません。

 

この作品で伝えたいテーマとは?

恐らく「メンターの必要性」でしょう。

 

作品内の良い例が九太の物覚えの良さです。彼はスキルが無いまま渋天街に来て熊徹の弟子となりましたが、最初は何もできません。

 

百秋坊から家事を学んで生活の仕方を覚え、熊徹からは動きを真似ることから始まり観察眼を育て、ついには剣を初めとした武術を学んで強くなります。熊徹に至れば九太から手ほどきを受け、独学で学んだ武術に冴えが出るようになりました。

 

一度渋谷に戻って楓と出会ってからの九太は、彼女から勉強を教えてもらったりと誰かしらから教えを乞う場面が多いです。これらの要素から「メンターの必要性」がテーマなのではないかと感じました。

 

まとめ

今回は気になっていた『バケモノの子』について書かせていただきました。

 

見ていて違和感に感じる部分やご都合展開に見える部分もありましたが、何も考えずに見られる親子愛の感じる作品のように感じます。動画配信サービスからでも見られると思うので、気になる方が居ましたら見てみるのはいかがでしょうか。

 

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以上、竜也でした。

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